戦闘神輿、見た瞬間は「なんだその珍兵器(笑)」だったのに、動き始めたら普通に厄介なのがズルい。
『逃げ上手の若君』第二期5話(第十七回「負けざる者たち」)は、清原の奇策を吹雪の知略が崩し、その直後に瘴奸が戦況をひっくり返す軍略戦でした。勝つことより「負けずに生き残る」という時行たちの価値観まで、一本につながっています。
そして気になるのが、戦闘神輿の弱点、清原の行く末、瘴奸がなぜ再び戦場にいるのか。このあたりは原作まで見ると、今回の配置がかなり先まで効いてきます。
※この記事は2026年8月15日に更新されました
『逃げ上手の若君』2期5話 感想:戦下手な公家が生んだ「戦闘神輿」がヤバすぎる
前回まで「現場を知らない悪徳国司」という印象が強かった清原ですが、今回は妙な方向に才能を発揮しました。本来は人を運ぶ輿を重装甲化し、その中から矢を射る。公式も「武士の常識を覆す奇策」と紹介しています。
いや、発想だけならメチャクチャなんですよ。それなのに実戦へ出すと、前面から斬りかかる武士は装甲に阻まれ、その間にも清原は安全圏から射撃できる。本人が武士の常識を知らないからこそ、武士が想定しない物を平然と作れるわけです。
しかも今回は、せっかく吹雪がその奇策を崩した直後に瘴奸が裏から刺してくる。力押しだけで勝敗が決まらず、「相手より一手多く考えた側が戦況を取る」という『逃げ若』の合戦の面白さが濃く出ていました。
清原の戦闘神輿はなぜ強い?どうやって攻略したのか
戦闘神輿が強い最大の理由は、攻撃する清原本人を装甲と担ぎ手が同時に守っていることです。
騎馬武者が接近しても、まず相手にするのは周囲の兵。その奥には装甲があり、清原は内側から矢を射てる。攻撃側だけが危険にさらされる構造なので、正面から力比べを続ければ保科・四宮軍が消耗します。
では「担ぎ手を狙えば終わり」なのか。そこまで単純ではありません。担ぎ手自身も武士であり、周囲の兵も守りに入るため、狙う場所を間違えればこちらが先に削られます。
吹雪が見抜いたのは神輿の左側でした。当時の武士は基本的に右手で太刀を扱います。ところが神輿の左側を担ぐ兵は、担ぎ棒との位置関係から右手を使いにくい。
そこへ攻撃を集中させれば防御が薄くなり、担ぎ手が崩れる。片側が沈めば神輿自体が傾き、清原も安定して射撃できません。重装甲は姿勢を保てる間こそ強力ですが、その重量そのものが弱点へ反転します。
面白いのは、清原の発想自体は決して愚かではないことです。「武士ではないから戦を知らない」が、そのまま「武士には思いつかない兵器を作れる」にひっくり返っている。
ただ吹雪は、その発明を力任せに否定せず、構造を観察して穴を見つけた。常識外れの発想へ、さらに理屈で返す。この頭脳戦、控えめに言って最高でした。
清原信濃守は死亡する?戦闘神輿の最後はどうなったのか
ここからは原作の先まで含む結末です。
清原信濃守は最終的に死亡します。ただし今回、戦闘神輿を攻略されたところで死亡するわけではありません。
原作では清原はこの先も時行たちの前に立ちはだかり、さらに兵器への執着を強めます。戦闘神輿は一発限りの珍兵器ではなく、「戦場の常識を知らない清原が、異様な兵器開発へ才能を伸ばしていく」入口でもあります。
その末に頼重と時行たちが清原の兵器を攻略し、最後は保科弥三郎によって討たれます。
つまり清原は、「弱い公家が変な神輿に乗って悪あがきした」で終わる敵ではない。既存の常識に縛られない発想だけは本物で、その才能を領民のためではなく、自分の欲望と権力のために使い続けたところに救いのなさがあります。
ゲスい国司なのに兵器だけ妙に合理的。腹立つけど、敵キャラとして実に『逃げ若』らしい(笑)。
瘴奸はなぜ生きてる?再登場した理由と小笠原貞宗との関係
瘴奸は一期の中山庄の戦いで時行たちに敗れましたが、あそこで死亡してはいません。
敗れた瘴奸を拾ったのが小笠原貞宗です。貞宗は瘴奸の戦い方と能力を見込み、配下として使う道を選びました。そのため今回の瘴奸は「突然復活した悪党」ではなく、敗北後に貞宗側へ組み込まれた武士として戦場へ戻ってきています。
そして第17話で厄介なのが、その瘴奸が正面から攻めてこないこと。
清原の戦闘神輿へ意識を集中させたところで、軍勢を通しにくい裏山側から奇襲する。正規の武士なら「大軍を動かせない場所」と考える地形でも、悪党として山野を駆け回ってきた瘴奸には別の道が見えるわけです。
ここが清原とは対照的でした。清原は武士の常識を知らないから珍兵器を作り、瘴奸は正規軍の常識に縛られないから普通なら使わない侵入路を選ぶ。今回、諏訪側は二種類の「常識外れ」に揺さぶられています。
貞宗が瘴奸を拾った理由もそこにあります。貞宗自身が強いだけでなく、相手の長所を見抜いて利用できる人物だからこそ、野盗だった男の経験まで戦力に変えてしまう。
原作では瘴奸はこの先、単なる略奪者では終わらない顔を見せます。貞宗に拾われたことが、彼自身の生き方を変えていく。
一期では「早くボコボコにされてくれ」と思った男なのに(笑)、後になって見え方まで変えてくる。今回の再登場は、倒した悪役をもう一度使っただけではありません。
「負けざる者たち」の意味とは?敗北しても“負けていない”理由
今回のサブタイトルは「勝者たち」ではなく、「負けざる者たち」です。
ここは時行がずっと示してきた価値観と重なります。武士の常識では、戦場から逃げることは恥。しかし時行にとって逃げることは敗北ではなく、生き残って次に挑むための技です。
保科もかつては「誇りのためなら死ぬ」という武士でした。それを時行がひっくり返した。死んで名を残すのではなく、生きて守る。その考えが今では一人の少年だけではなく、諏訪側の戦い方そのものへ広がっています。
だから「負けざる」は無敗という意味ではありません。
戦場で押される。城を捨てる。撤退する。それでも兵と領民を残し、次の戦いへつなげれば終わってはいない。逆に、一度の勝利のために全員死ねば、そこで未来が途切れます。
今回も戦闘神輿を攻略したから終わりではなく、その直後に瘴奸の奇襲を受けて戦況は再び崩れる。それでも「一度崩されたら全部終わり」という物語にはならない。
清原は「倒されない兵器」を作ろうとする。一方、時行たちは「倒されても終わらない者」になろうとしている。この差が、そのまま『逃げ上手の若君』という作品の根っこへ戻ってくるんですよね。
『逃げ上手の若君』2期5話の余韻――勝つことより、生き残ること
戦闘神輿なんていう強烈な絵面で笑わせながら、最後に残るのは「どうすれば負けずに生き残れるのか」という話でした。
武勇の保科、知略の吹雪、戦場を駆けて情報をつなぐ時行。そして正規軍にはない発想で裏をかく瘴奸。強さの種類が違う人間たちがぶつかるから、戦況が一場面ごとにひっくり返る。
敵も味方も、生き残った者には次がある。「負けざる者たち」という題が、観終わってからじわじわ効いてくる回でした。
【公式サイト・引用・参照】
- TVアニメ「逃げ上手の若君」公式サイト「物語」第十七回「負けざる者たち」
- TVアニメ「逃げ上手の若君」公式サイト「人物」
- 少年ジャンプ+『逃げ上手の若君』第42話「神輿 1335」
- 少年ジャンプ+『逃げ上手の若君』第65話

最後まで読んでいただき、ありがとうございます!
戦闘神輿の奇抜さと、それを攻略する吹雪の知略が『逃げ上手の若君』2期5話らしくて熱かったですね!

清原の戦闘神輿に夢中になってたら瘴奸の奇襲を忘れるなんてアホにゃ!
「負けざる者たち」の意味まで考えると深い回だったにゃ!

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