『ワールド イズ ダンシング』9話|「汐汲」とは何?後の能『松風』につながる演目の正体

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「汐汲」という演目名が出た瞬間、ちょっとゾクッとしました。鬼夜叉にそこを触らせるのか、と(笑)。

第9話「秘めたる想い」は、鬼夜叉と増次郎の合作が始まり、千晴の胸に押し込められていた願いまで浮かび上がる回でした。そして「汐汲」を選んだこと自体が、後の世阿弥と能『松風』へつながっています。

※この記事は2026年8月25日に更新されました

『ワールド イズ ダンシング』9話 感想:鬼夜叉と増次郎が「汐汲」を選ぶのがヤバい

舞競べでは敵だった鬼夜叉と増次郎が、今度は一緒に作品を作る。その題材として田楽新座の未完作「汐汲」を選ぶのだから、歴史を知っているとニヤニヤが止まりません。

もちろん田楽新座の面々からすれば面白くない。自分たちの作品を、猿楽側の鬼夜叉に触らせることになるからです。そこには単なる好き嫌いではなく、「田楽らしさをどこまで変えていいのか」という芸への誇りがあります。

増次郎たちは、残すためには変わらなければならない。反対する側は、変えた瞬間に自分たちの芸ではなくなると恐れている。この衝突があるから、鬼夜叉との合作にもちゃんと痛みがあるんですよ。

その横で千晴は、鬼夜叉の影響を受けて読み書きを始めたものの、思うように上達できずにいる。舞台へ立てない自分が別の道を探しているのに、その道だって簡単には開かない。ここが地味に刺さりました。

「自分たちを変えられたくない田楽新座」と、「自分を変えたいのに変えられない千晴」。第9話は、この二つを同じ場所に置いています。

「汐汲」とは何?後の能『松風』との関係

「汐汲」は劇中だけの架空の演目ではありません。後の能『松風』へつながっていく古い田楽能です。

能楽史では、田楽の名手・喜阿弥(亀阿弥とも)の「汐汲」を観阿弥が「松風村雨」へ改作し、さらに世阿弥が手を入れて、現在の『松風』へつながったと伝えられています。

流れとしては、「喜阿弥の『汐汲』→観阿弥の『松風村雨』→世阿弥が改作した『松風』」。つまり鬼夜叉=後の世阿弥が第9話で「汐汲」に関わることには、彼の未来を知る視聴者にとって大きな意味があります。

現在の『松風』に登場するのは、須磨で汐を汲んで暮らした姉妹・松風と村雨の亡霊。二人はかつて須磨に滞在した在原行平を慕い、特に松風は死後まで消えない恋慕を舞にしていきます。

ただし、「1374年の鬼夜叉が増次郎と一緒に未完の『汐汲』を作り直した」という出来事まで史実として確認されているわけではありません。

ここが『ワールド イズ ダンシング』のうまいところです。歴史上、「汐汲」が観阿弥・世阿弥へ受け継がれていったという系譜はある。ならば少年時代の鬼夜叉は、どこでその芸と出会ったのか。その空白へ青春ドラマを差し込んでいるわけです。

後世に600年以上残る名曲も、最初から「完成された古典」だったわけではない。誰かが作り、別の誰かが直し、また次の世代が受け取った。その途中にいる鬼夜叉を描くから面白いんです。

千晴は原作にいる?アニメオリジナルキャラクターなのか

千晴はアニメオリジナルキャラクターです。

公式サイトでも、千晴役の水瀬いのりさんが「オリジナルキャラクターの千晴」と明言しています。設定上は猪丸の妹で、舞の世界を愛しているものの、性別を理由に舞台へ上がることを諦め、笛の稽古に参加している少女です。

原作を読んでいて「こんな子いたっけ?」となった人の記憶は正しいです。いません(笑)。

そして第9話まで来ると、千晴を追加した意味がかなり見えてきました。

鬼夜叉たちは「どう舞うか」「何を作るか」で悩むことができる。でも千晴は、その前段階にある「舞台に立つ」という選択肢そのものを持てません。

だから読み書きを始めたことも軽くない。芸の世界に関わる別の道を探し、自分で何かを掴もうとしているんです。それでも思うようにできないから、鬼夜叉が失敗しながら前へ進む姿は、千晴には眩しくも残酷に映る。

鬼夜叉の才能を外側から見る人物ではなく、「自分もそこへ行きたいのに行けない人物」として置かれている。アニメ版の千晴は、その距離を見せるための存在になっています。

千晴はなぜ女だから舞台に立てない?室町時代の女性と猿楽

千晴が舞台に立てない理由は、作中でははっきりしています。女性だからです。公式プロフィールにも、千晴は「性別を理由に舞台に上がることは諦めている」とあります。

ただし、ここから「室町時代は女性が猿楽をできなかった」と考えると話が違います。

室町時代には、女性が演じる「女猿楽」が実際に存在しました。記録では1432年の『看聞御記』に女猿楽の興行が登場し、その後には観世と競演するほど人気を集めた例も知られています。

つまり、女性が芸能そのものから完全に排除されていたわけではありません。

一方、第9話の舞台は1374年。確認されている女猿楽の記録より半世紀以上前ですし、作中の千晴には女性演者として舞台へ上がる道が開かれていません。

ここで大事なのは、「女性は絶対に舞台へ立てなかった」という歴史上の禁止制度と考えることではなく、千晴の生きている環境では、女性である彼女に舞台へ上がる道が用意されていないと見ることです。

水瀬いのりさんも千晴について「性別や立場に悩み」とコメントしています。

才能があるかどうかを試す以前に、挑戦する席そのものがない。だから鬼夜叉が何度失敗しても舞へ飛び込んでいく姿は、千晴には強烈なんですよ。

第9話「秘めたる想い」の意味とは?汐汲と千晴に重なるもの

「秘めたる想い」は、千晴の胸の内と、「汐汲」の先にある『松風』の恋慕を重ねたタイトルだと私は読みました。

後に「汐汲」から発展していく『松風』では、松風が在原行平への想いを死後も捨て切れず、形見を身につけ、その恋慕を舞にします。

胸の内に留めていた感情が、最後には芸として外へあふれ出す作品です。

一方の千晴にも、外へ出せない願いがあります。舞の世界が好きなのに舞台には立てない。読み書きを始めたのも、自分も芸の世界へ近づきたいという欲求の表れでしょう。

ここで千晴の「秘めたる想い」を恋愛感情と決める必要はありません。現時点で作中からはっきり読み取れるのは、芸に関わりたいという願いと、自分の置かれた立場への苦しさです。

その千晴の横で、鬼夜叉たちは「汐汲」を作り直している。そして「汐汲」は後に、死後まで消えない恋慕を舞う『松風』へ姿を変えていく。

作品の中の演目と、千晴自身の人生が静かに重なっているんですよね。

『ワールド イズ ダンシング』9話の余韻

「汐汲」をただの劇中演目として見るか、後の『松風』を知って見るかで、第9話の景色はかなり変わります。

名作は天才が突然ポンと生み出すものではない。前の時代から何かを受け取り、壊し、直し、また次へ渡していく。その流れの途中に、まだ「世阿弥」ではない鬼夜叉がいる。

そしてその隣には、自分の想いをまだ舞台へ乗せられない千晴がいる。

未来の名作が少しずつ形を変え始める回だからこそ、「自分も変わりたい」と願う千晴の苦しさまで残る。第9話「秘めたる想い」、タイトルまで含めて味わうとかなり尊い回でした。

【公式サイト・引用・参照】

最後まで読んでいただきありがとうございます!
「汐汲」が後の能『松風』につながると知ると、第9話の見え方まで変わりますね。

にゃん子
にゃん子

鬼夜叉と汐汲のつながりでニヤニヤしてるの、また歴史オタク全開にゃ!
千晴の「秘めたる想い」も切ないにゃ。

『ワールド イズ ダンシング』9話で印象に残った場面や考察があれば、ぜひSNSでシェアして皆さんの意見も聞かせてください!

アニメ愛好家ユウ

アニメオタク歴25年、アニメ研究歴20年(メディア学専攻)のアニメ研究ライター。
アニメ年間150本以上を視聴し、イベントやコミュニティでも発信。
日本のアニメ・マンガ・ゲームを世界遺産級カルチャーへ。
そんな想いで『アニメのミカタ』を運営中。

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